おにの手帖

手仕事、田舎暮らし。
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きみ先生



ご心配をお掛けしています。


久しぶりにやっと日記を書けました。

そして、今日着物を着ました。

傷の上に巻いている腹帯を帯に変えて、

どうしても今日は着たかったんです。


でも


DSC_4691.jpg


本当は、先週着たかった。


着物のお師匠さんである、きみ先生のところへ

いきなり「着付けを教えていただけませんか?」とゲリラ訪問したのは

今年1月。


目の前に住んでいたにも関わらず、

自宅で和裁という籠る仕事をしているきみ先生と

“家が好きでたまらない”わたしはそれまで顔を合わせる機会もなかった。

不躾に突然やって来たわたしの話を

最初キョトンと聞いていた先生が「面白そう♪」と引き受けてくださり、

”磯野フネさんへの道”は始まった。


きみ先生がおっしゃった「10分で着られるようになる人もいるから大丈夫だよ」という言葉通り、

先生はたった4回で普段に着物で暮らす分には何不自由無いようにしてくださった。

どうしてもきみ先生の縫った着物を着たいと、

反物を預けてその日を心待ちにしていた7月の初め、

妹さんからきみ先生が入院されたことを聞いた。



8月。

先生は膀胱を摘出して人工膀胱になって帰ってきた。

わたしには想像も出来ない不自由さを微塵も感じさせず、

「皆は日に何度もトイレに行かないといけないけど、私はもう行かなくてもいいんだよ~♪」と笑い、

病院で経験した面白い話をたくさん聞かせてくれた。

妹さんと3人お腹を抱えて笑った夏の日。


重い病気には違いないけれど、

その正体を深く聞くこともできないくらい

そんな必要も無いくらいきみ先生も妹さんも明るかった。


先生が再入院されたと聞いたのは9月に入ってすぐ、

わたしが入院する日だった。

早くここを出て会いに行きたい。

思うように治らないことに苛立ちがつのった。

退院していくらか1人で動けるようになった先週10月1日、

やっとお見舞いに行けた。


カーテンの隙間から見えたきみ先生は

すぐに声をかけることができなかったほど苦しそうだった。

見たことのない先生の顔。


このまま帰ろうかと思いながら

やっぱり話がしたかった。

でも先生はわたしの顔を見ると

絞り出すように「ごめん・・・今日は・・・無理だ・・・」と言った。


喘息が出たとのことで酸素吸入のチューブをつけ、

座ってしか寝られないらしかった。

「胸騒ぎが当たる・・・」マルの時に感じたそんな恐怖をひきつった笑顔でごまかし、

手を握り、背中をさすった。


そんな状態なのに「傷はどうなの?お腹は大丈夫?」と、

苦しそうに小さな声でわたしのことを気遣ってくれた。

おどけて「こんな状態ですよ~、先生とおそろい。」とガーゼに覆われたお腹を出して見せた。

「ほんと、一緒じゃ~♪」って笑ってくれると思ったのに、

先生は「あぁ・・・可哀そうに・・・」と顔を歪めた。


バカなわたし。


先生の背中の骨の感触とその圧倒的な優しさで泣きそうになるのを堪えながら

「もうしゃべらないで。次は家で会おうね、待っているから。」としか言えなかった。

3分も居られなかった。

少し話してしまったせいだろう、

廊下で先生の咳込む声が聞こえたのに

もうわたしは部屋に戻ることができなかった。戻れば・・・多分泣いていた。



それがきみ先生との最後。


10月5日 先生は天国へいってしまった。


自分が膀胱ガンであったことを最初から知っていたと聞いた。

喘息が出たのではなく肺に転移していた。

あの時も、あの時も、いつも笑っていたけど、

先生は知っていた・・・。

「こうして生きなさい」

また教えられた気がした。


マルの時に「肺の病で誰も苦しみませんように」とあれだけ願ったのに、

きみ先生まで。

神様を恨むのは先生に叱られるだろうか。

いつもニコニコと明るかった先生は、

きっと・・・・喜ばないね。

でもやっぱり悔しいよ。

連れていくにはまだ若すぎる。


わたしが入院しなかったら、

いっぱい会いに行ったのに。もっともっと会いたかったのに。

本当のことを知っていたら、

無理をしてでも着物で会いに行ったのに・・・。

ずるい言い訳ばかりがグルグルと廻る。




昨日お葬式でたくさんの花に囲まれた小さなきみ先生は、

まるで童話のお姫様のように綺麗だった。

毒りんごを食べて眠ってしまった、そうとしか思えなかった。

50半ばとは到底信じられない美しさと、

もう息をしていないという現実の差が大きすぎて

ちょっと後ずさりをしてしまうほどだった。


物静かで、でも明るく、控えめで、優しくて、心の底からピュアな先生。

着物を着るということだけではなく、

日本女性が忘れそうになっているものをすべて教えてくれたきみ先生。

これからも間違いなくお手本としていくべき素晴らしい先達でした。


家に戻ったら、

新しい縫い台を買ってわたしの着物を頑張って仕上げなきゃと言ってくれた。

60歳になったら自宅で着付けも教えたいという夢を持っていたと

妹さんから聞いた。

最後にわたしに教えられて本当に楽しそうだった、

「着物、縫ってあげられなくて、ごめんね」と言っていた、と。


秋からは和裁も教えてくださることになっていましたよね、先生。


「私についてくる?厳しいよ~♪」と笑う先生に

「ついていきますっ!」って。2人で笑いましたよね。

嬉しくて、また先走って絹糸と和針、買って待っていたんですよ。



先生。


母も祖母もいないわたしが着物を着られるようになったのは

先生のお陰です。

出来なかったことを出来るようにしてくださってありがとうございました。


本当にありがとうございました。



わたしが着物を着られるようになりたいと言った時の

嬉しそうな笑顔、

ずっと大切にします。


ずっとずっと大好きです。







-4 Comments

ラッキー says...""
Sueさんときみ先生との出会いは運命だったのだと思います。
そして、神様からの出会いのプレゼント。
きみ先生はSueさんに着付けを教えられて、幸せだったと思います。

生きているといろんな嬉しい思い・つらい・悲しい思いをするけれど、生きていることってやっぱり素晴らしいと思います。

きょうのSueさんの着物姿・・・きっときみ先生も天国から微笑んで見てくださっていると思います。
2009.10.08 11:13 | URL | #- [edit]
Sue says...""
ラッキーさん。

ありがとうございます。
着物を着てお骨になったきみ先生に会いに行ってきました。

まだまだ突っ込みどころは多いけど、
喜んでくれたかなぁと思います。

ちょびっとですけど、
最後の弟子として恥ずかしくないよう
着物を着つづけていきますと伝えました。

ラッキーさんのおっしゃるように、
いろんなことがあっても生き続けたいですね。
大切な人とずっと一緒に。

あったかいメッセージ、本当にありがとうございます。
2009.10.08 11:46 | URL | #aE8nS3mY [edit]
ekko says...""
お別れの話はつらいですね。
つい先日、近所の方が連れ合いを亡くされたことを知りました。
その方はまだ50前、お子さんも小学生でした。
亡くなられた方との付き合いは無かったのですが、どれほど無念であったかと思うと、奥様にかける言葉が浮かびません。
その方も、ご自分の病状を知っていたとか・・・・。
入院をこばみ、ご自宅でご家族と一緒にいることを望んだそうです。
若い方との別れは本当に辛いです。

きみ先生もずいぶんお若くして亡くなられたんですね・・・・。
お気持ちの強い方だということが伝わってきました。
先生として着付けを教えられたこと、きっと素敵な宝物を抱えて旅立たれたことでしょう。

ご冥福をお祈りいたします。

送り出す方も、悲しみから開放されるまで少し時間がかかるのでしょうが、先生も皆さんに笑顔が戻ることを待っていることでしょう。

私もSueさんがお着物をお召しになる時は見せていただきたいので声をかけてください。お伺いしますよ。

別に、すぐにでもいいんですけどね・・・。
2009.10.08 14:30 | URL | #BjIfNwW. [edit]
Sue says...""
ekkoさん。

その方も亡くなるには早すぎるお歳ですね・・・。
ご家族の悲しみを思うと、言葉になりません。

自分に置き換えたら、立ち直れるかしらと思ってしまいます。
それでも泣き続けてはいられない、
それもまた人生なんですもんね。

きみ先生のこと、ありがとうございます。
お近くですからいつか会っていただきたかったくらい
素敵な女性でした。

代わりにわたしでなんですが、
着物お見せできるよう頑張って傷を治します。
早めに・・・できるだけ。
2009.10.08 17:18 | URL | #aE8nS3mY [edit]

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